大大阪時代と呼ばれていた1933年(昭和8年)、第四期竣工をもって完成した大丸心斎橋店。
現在もその存在と面影を残す建物は建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの手による設計です。
その名を冠にし多くの人に古くから「ヴォーリズ建築」と呼ばれ、親しまれています。
約4年の建て替え工事を経てグランドオープンした現在の建物は、
御堂筋側の外壁を一度も動かすことなく建て替えられ、保存外壁として、新たな時を刻んでいきます。
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旧本館 (御堂筋側外観)
1933年(昭和8年)
新しくなったヴォーリズ建築の
御堂筋の拡幅と「梅田〜心斎橋間」の
地下鉄開通に合わせ旧本館が完成。
その外観は今もなおその趣きを感じさせます。
動画はこちらから
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1階天井とシャンデリア
のちに戦争で接収されたシャンデリアがまだ存在していた頃、華やかなハレの場の象徴であったメインホール。
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エレベーターホール
現在に継承されているエレベーターホールの美しい意匠やデザイン。エレベーターガールは、当時の花形職業でした。
心斎橋筋側はネオ・ルネサンス様式、御堂筋側はネオ・ゴシック様式となっており、
数々の華やかな装飾はアール・デコ様式が用いられています。
館内の天井などにはイスラム様式のアラベスク調の模様なども施されており、
さまざまな様式が混在しつつも、不思議と調和しているのがヴォーリズ建築の特徴と言えます。
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米国カンザス州レブンワース生まれ。
1905年に派遣教師として来日、滋賀県近江八幡の県立商業高校に英語教師として赴任。1908年にヴォーリズ建築設計事務所を、のちに近江兄弟社を設立。伝道と共に、教育・医療・出版などの活動を展開した。近江兄弟社では、メンソレータムを広く日本に普及させた実業家としても知られている。また、YMCA活動を通し、近江ミッションを設立し、信徒の立場で熱心にプロテスタントの伝道に従事した。讃美歌や同志社カレッジソングなどの作詞作曲を手掛け、ハモンドオルガンを日本に紹介するなど、音楽についての造詣も深かった。
1916年頃、大丸初代社長・下村正太郎と出会い大丸心斎橋店が建てられる。