Professional's Eyes
スタイルのある暮らし
大阪の第一線で活躍する方々と一緒に、生活を豊かにする視点、もの選びのコツに迫ります。館内の注目アイテム、心斎橋のお気に入りスポットをご紹介。心地よい暮らし、大阪のシビックプライドを求めて。
ARCHIVES大阪にゆかりのあるゲストを迎え、その人の視点で大丸心斎橋店を巡ってもらう「PROFESSIONAL‘S EYES」。今回は寝屋川市在住の直木賞作家、門井慶喜さんが登場。大丸心斎橋店を設計したウィリアム・メレル・ヴォーリズを主人公にした小説も上梓した門井さんに、建築に触れてもらいながら館内をクルーズしていただきました。
※2024年7月をもって閉店いたしました。
まず最初に訪れたのは、「心斎橋筆記具倶楽部」。有名ブランドを中心に海外の万年筆やボールペンを扱う筆記具専門店です。
「小説の執筆はパソコンでやっていますが、手紙は手書きですし、サイン会などでサインをするときにも万年筆を使っていて、仕事柄、筆記具はよく使います」
“物書き”というだけあって、門井さんがペンを使う機会は多いようです。毎年2〜3冊の小説が発行される売れっ子作家ならではの場面でも、万年筆が重宝しているようです。
「小説の単行本が印刷される前に、ゲラ刷りといって試し刷りが出るのですが、それに修正を加えたりする校正のときも万年筆を使います」
ゲラ刷りは、実際に本になったときと同じように刷られるので、文章は縦書きになっています。
「縦に文字が書きやすいのは、やはり国産なんですよね」と門井さん。
日本で小説が本になるとき、やはり文は縦書きが主流。単行本の校正時は国産の万年筆を使うという門井さんですが、外国製のものを使うときもあります。
「縦書きよりも横書きの機会が多い人は外国産のペンを使ったほうが書きやすいかな。僕は、文庫本にサインをするときには、ドイツ製の『Pelikan(ペリカン)』の万年筆を使っています」
文庫本へのサインの話が出たところで、ここで少し門井慶喜さんと大丸心斎橋店を結びつける小説『屋根をかける人』(KADOKAWA)の紹介をしましょう。この小説は、大丸心斎橋店を設計したウィリアム・メレル・ヴォーリズが24歳で日本にやってきて、滋賀の近江八幡を拠点にキリスト教の伝道、建築、ビジネスなどで活躍し、83歳で生涯を閉じるまでの人生を描いた作品です。
「単行本で小説を出して、2年か3年すると文庫本になるんですけど、これにサインするときは、『ペリカン』のミニサイズのスーベレーンM300で書きます。文庫本のサイズは小さいし紙も薄いので長めのペンだと書きにくいのですが、M300は書きやすい。文庫本って扉に記載されているタイトルが横書きなので、その下にサインをするときも合わせて横書き。だから外国製の万年筆を使います」
そう語る門井さんに、スタッフは、「実は、今はスーベレーンM300は廃盤になっておりまして…」
「えっ! もうないんですか! スーベレーンって、いつまでも変わらないものと思っていました」と門井さん。残念そうな表情を見せていましたが、M300より少し長いM400で文庫本にサインをしてみると…「書いてみて思ったけど、文庫本は小さくても万年筆は小さくなくてもいいですよね。ペンが短い必要なかったな(笑)」
万年筆を使う機会が多い門井さんですが、もちろん、そのほかのペンを使うこともあります。
「このPARKER 5th(パーカー フィフス)も持っています。書き味いいですよね。手紙を出すとき、便箋は万年筆で書くんですが、封筒の宛名はこれで書きます。手紙って雨に濡れる場合もありますよね。水で文字が滲んでしまうと相手に失礼かなと思っちゃうんで、耐水性に優れたこのペンを使います」
相手に対する心遣いで筆記具も使い分ける門井さん。紡ぎ出す作品同様に、人への思いやりにあふれています。
《種家はもともと栗まんじゅうや干菓子などを売る素朴な菓子屋だったものが、二代目の山本脩次という男がなかなか若いながら野心的で、このごろは練切、葛菓子、鹿の子など、京都の老舗さながらの品ぞろえを目指している。》
この一節は、『屋根をかける人』で、結婚したばかりのヴォーリズと満喜子が、おもてなしの菓子を手配するシーンで記されています。この近江八幡の菓子屋「種家」が、のちに「たねや」となり、洋菓子の「CLUB HARIE(クラブハリエ)」も手がけて全国展開する有名菓子店となりました。
「たねやさんに洋菓子をつくってみてはと勧めたのは満喜子さんのようですね」と門井さん。
門井さんはさらに、ヴォーリズが暮らしていた時代の近江八幡とキリスト教、和菓子の関係についても語ってくれました。
「当時の近江八幡におけるキリスト教とお菓子って、どちらも京都を向いているんですよね。京都は早くからキリスト教が普及して、キリスト教系の同志社大学があったり、信者の数も多かった。近江八幡の生徒が信徒になりますといっても、ヴォーリズさんはあくまで聖職者じゃなくて伝道師なので洗礼はしてあげられない。だから京都まで連れて行ったと思うんですね。多分和菓子もそうなんじゃないかなと思うんですよ」
京都と近江八幡の関係性を語ってくれた門井さんは、栗が大好物だそうです。『屋根をかける人』にも創業当初から栗まんじゅうを作っているという記述がありましたが、今も「たねや」には栗を使った季節限定の名物があります。
「栗がお好きなら、栗月下がおすすめです。蒸した栗を固めて作ったお菓子なんですが、栗の食感や味わいをたっぷり堪能してもらえると思います」と平岩店長。
「マロンケーキは秋にしか食べないと決めているぐらい栗が好きなんですよ。食べようと思えば1年中食べられるけど、もう一番おいしい季節に食べたい。この栗月下を見てるだけでお茶飲めるわ(笑)」と門井さん。
和菓子がたくさん並ぶショーウインドーをじっくりと見つめる門井さんに、「甘いものがお好きなんですか」と質問してみると…。
「仕事してると甘いものがすごく欲しくなりますね。最近はあんみつに興味ありまして。若い頃は、あんみつってご年輩の食べるものでしょって全然興味なかったんですが、こんな旨いもん食ってたんだって認識を改めました(笑)」
《「おもしろいところから話が来ました。教会でも保険会社でもない、あなた好みの業界です。デパートメント」
「でぱーと?」
「百貨店ですよ。心斎橋の大丸」》
『屋根をかける人』でヴォーリズと大丸心斎橋店担当設計技師・佐藤勝久の会話がこう記されています。数多くの教会を手がけ、1925(大正14年)、大阪・肥後橋に大同生命ビルを建てたヴォーリズに、初めて百貨店から依頼が来たシーンです。
1933(昭和8)年、ヴォーリズは自身唯一の百貨店の設計を手がけ、大丸心斎橋店を完成させます。その象徴とも言えるのが心斎橋筋側の入り口に掲げられた孔雀のレリーフです。小説では当時の姿が次のように書かれています。
《それはさながら三百六十度ひろがる扇のようだった。百八十度でなく三百六十度である。しかも扇はいわば同心円状に四重をなしていて、すべてグリーンの羽根で埋められている。》
「心斎橋筋は、“心ぶら”という言葉があるぐらい商店街があってたくさんの人が歩いている。人通りを意識した設計をする場合には、面というよりも点にポイントを置いて、歩いている人たちに指差してもらえるようなデザインのほうが印象に残ると思うんですよね。そういう意味で、このピーコックはとてもいいものを選んだなと思います。後世語り続けられる象徴となりましたから」
そう門井さんが話すように、2019年の建て替えの際にも、保存、補修され復刻した孔雀レリーフは、多くの人が行き交う心斎橋筋で、ひときわ輝く存在感を放っています。
心斎橋筋側から御堂筋側のエントランスに移動しました。孔雀のレリーフと同じように、御堂筋側の外壁もできるだけオリジナルのヴォーリズ建築をそのまま残しました。
「心斎橋筋側が孔雀を点とした建築だとすると、御堂筋側は面のデザインだと思います」と門井さん。
御堂筋は、幅6mほどだった狭い道を拡張し、大丸心斎橋店全館が完成した4年後の1937(昭和12)年に開通します。
「そもそも御堂筋は、とても細い道だったのを、当時の関一(せきはじめ)大阪市長が拡張して、たくさんクルマが通るようになり、堺筋からメインストリートの座を奪うことになります。ヴォーリズはそのことを見越して、遠くのクルマに乗る人から見ても美しく見えるようにと考えたデザインじゃないですかね」
それから80年余り、クルマが主役だった御堂筋が、奇しくも取材の直前には大丸心斎橋店前の歩道が拡張され、より人が歩きやすい道になりました。
「前の歩道だと建物は見上げるように見ていましたが、広くなってより全体が見えるようになりました…あっ、あんなところにも孔雀がいる! 今まで気づかなかったなあ。これからはヴォーリズ建築の見え方も変わっていくでしょうね」
門井さんは、2020年に自宅近くに書庫を備えた仕事場を自宅近くに建てました。『屋根をかける人』での縁もあって、ウイリアム・メレル・ヴォーリズの意思を継ぐ一粒社ヴォーリズ建築事務所に設計を依頼しました。
「スパニッシュ様式の2階建で、赤茶色の屋根の上には塔があるヴォーリズ建築です。中学生の息子が学校で友達に、『お前んちの近くに教会できたよな』(笑)と言われるような仕事場です」
この仕事場と共通点がある場所が、大丸心斎橋店の中にもありました。
「仕事場は1階が書庫になっていて、執筆は2階でするので階段があるんですが、ここに来てこの階段を上ったときに、あっ、同じだと思いましたね」
そう門井さんが話すのは、地下1階と2階をつなぐ“ヴォーリズ階段”。旧本館にあった大理石の階段を再現したもので、手すりの柱頭や欄干などを再利用しています。
「ヴォーリズ階段は、ゆるい傾斜が特徴なんですね。ヴォーリズ建築では有名な山の上ホテルがあるのですが、あの階段も同じ。面に対して段は低くなっていてゆるやかです。私は仕事場で、数冊の重い本を抱えて上り下りを結構するので、階段がきついと危ない。本を持ちながら曲がりたくもないので踊り場もつくらずまっすぐな階段にしています」
仕事上、合理性を考えたときに一番理想的だったのが、折り返しなしのヴォーリズ階段だったという門井さん。
「すごく理にかなっていて、人にやさしい。ヴォーリズが住宅を設計していた当時は、一般的な日本家屋の階段って傾斜が相当きつかったと思いますから、ヴォーリズの階段はかなりゆるやかに見えたと思います」
自分の仕事場もヴォーリズ建築にしてしまった門井さん。同じく作家の万城目学さんと『ぼくらの近代建築デラックス』という本を出すぐらいの建築好きですが、建築や小説のことを、ヴォーリズ意匠が散りばめられたカフェ「SALON de thé VORIES サロン・ド・テ・ヴォーリズ」じっくり聞いていきましょう。
「万城目さんとは、やっぱりヴォーリズいいよねという話はしてました。その時は近代の建築家が小説になるとは思っていなかったですけど。ひょっとしたら近代建築を題材にした小説って、『屋根をかける人』までなかったかもしれません」
ヴォーリズを主人公にした小説を書いたきっかけについて聞いたところ、門井さんはそう答えてくれました。2016年に『屋根をかける人』が発行されたあと、2020年には建築家・辰野金吾を主人公にした『東京、はじまる』(文藝春秋)を上梓します。
「辰野金吾が設計した東京駅をはじめ、明治時代から始まった近代建築というのは平成の時代が一つのターニングポイントだと思います。それまではただの汚い古い建物という扱いだったのが、だんだん数が少なくなってくると、待てよこれは貴重だな。これ以上つぶしたらまずいんじゃないかということで、いろんなところで保存運動が起きた」
おそらく大丸心斎橋店も、ヴォーリズが残した建物を全部壊すか一部保存するか議論があっただろうという門井さん。
「平成の何十年の間に、近代建築が単なる汚い古い建物から文化財として見直されるようになったと思います。それと並行するように万城目さんと『ぼくらの近代建築デラックス』を始め、それが『屋根をかける人』につながったんだと思います」
無事に一部が残された大丸心斎橋店のヴォーリズ建築。その魅力についても門井さんは語ってくれました。
「1階の天井に施されたアラベスク模様なんかは、すごくいいところを突いてるなと思います。大正から昭和初期にかけては、ヨーロッパでアール・ヌーヴォー、アール・デコが出てくる時代。線が細くて幾何学文様だけで余計な装飾はいらないという現代デザインに近いものが来つつある時代なんですね。そういう時期に直線だけをうまく使って時代を先取りしつつも、今までのデコラティブな装飾が好きな人へのアピールもできる。当時の若い人にも年配の人にも「いいデザインだな」と思ってもらえたと思いますよ」
ヴォーリズ建築を堪能したところで、最後に門井さんが愛用されているブランド「SERAPIAN(セラピアン)」のショップを訪れます。「セラピアン」は、1928年にイタリア・ミラノで創業。バッグを中心に、高品質の素材を使い職人の手づくりによるアイテムで人気のブランドです。
「クラシカルな雰囲気があって、デザインも非常に好きで、革がなめらかで持ちやすいですし、とても気に入って使っています」
そう言いながら、門井さんが持ってきてくれたのは「セラピアン」のブリーフケース。5年前ほど前に購入されたという限定カラーの希少アイテムです。
「実用面でもすごくいいんですよ。仕事柄、本をカバンに入れることが多いんですが、何冊か本は入りますし、入れて膨らんでも不恰好にならなくて」と門井さん。
「とてもきれいに使われていてステキです。愛用していただいているというだけでうれしいです」とは店長の橋田光代さん。
そして、ブリーフケースの中から出てきたのが、最近購入されたという「セラピアン」のグラスケースです。
「最初見たときに、『あっこの手があったか!』とやられました」と門井さんが言うように、メガネのテンプル(つる)の部分がケースの外にホールドされる斬新なデザインです。
「よくあるボックス型のメガネケースだと、カバンの中に入れていても結構かさばってしまいますが、これはレザーですごく薄いです」と言う橋田店長に、「一見すると薄くて弱そうに見えるかもしれないですけど、全然大丈夫です」と門井さん。
陳列しているバッグを見ながら店内を回る門井さん、バックパックを見ながら「自分は、かなりなで肩なので、リュックやショルダーバッグを肩に背負うとスッと落ちてしまうんですよ。だからあまり使わない(笑)」と。
「キャリーケースの上に『セラピアン』のブリーフケースを挿して転がすと、下のキャリーケースまでカッコよく見えるんですよ」と、門井さんにとって、すっかり仕事には欠かせない愛用品になっている様子です。最後に店長のリクエストでポーズまで決めてくださるサービス精神も発揮。その気さくであたたかなお人柄が、数々の人間味あふれる小説を生み出しているんだなと実感しました。
1971年群馬県桐生市生まれ。同志社大学文学部卒業後、大学職員として勤務し、2003年『キッドナッパーズ』(文藝春秋)でオール讀物推理小説新人賞を受賞してデビュー。2005年には大阪府寝屋川市に転居し、2020年から「ねやがわPR大使」を務める。2018年、宮沢賢治とその父を描いた『銀河鉄道の父』(講談社)で第158回直木三十五賞を受賞。この小説は2023年、役所広司と菅田将暉主演で映画化される。2016年にウイリアム・メレル・ヴォーリズの半生を記した『屋根をかける人』(KADOKAWA)を上梓。最新作は、今年発行された連作短編集『天災ものがたり』(講談社)。
写真/岡本佳樹 取材・文・編集/蔵均 WEBデザイン/唯木友裕(Thaichi) 編集・プロデュース/河邊里奈(EDIT LIFE)、松尾仁(EDIT LIFE)
大阪の第一線で活躍する方々と一緒に、生活を豊かにする視点、もの選びのコツに迫ります。館内の注目アイテム、心斎橋のお気に入りスポットをご紹介。心地よい暮らし、大阪のシビックプライドを求めて。
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Professional's Eyes Vol.57