〈パティスリー ル・フルティエ〉知る人ぞ知る!三坂さんが選んだ"旬のとっておき"が登場。

大丸松坂屋オンラインストアで数量限定販売

  • 三坂 美代子さん
  • 「関西スイーツ」代表の三坂 美代子さんはスイーツだけだなく、「食」のさまざまな分野でブランドのコンサルティングやアドバイスをしていらっしゃいます。今回は、そんな三坂さんおススメのスイーツをご紹介!

〈キルフェボン銀座〉の
元グランシェフによる絶品タルトたち。

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〈パティスリー ル・フルティエ〉
オーナーシェフ宮脇和也さん

  • 宮脇和也さん

京都嵐山の菓子舗に生まれ、神戸の人気洋菓子店〈レーブドゥシェフ〉で研鑽を積み、〈キルフェボン銀座〉の立ち上げグランシェフとして活躍。2007年、京都精華町に〈パティスリー ル・フルティエ〉をオープンし、オーナーシェフとして情熱を注いでいます。

野球少年からパティシエへ。

「おじいちゃんが和菓子職人で、実家は和洋菓子店なんです」と朗らかに笑う宮脇さん。代々菓子づくりの家に生まれながら、わんぱく少年時代に描いた将来の夢は、野球選手になること。甲子園を目指し、プロに憧れ、日夜練習に汗を流す野球三昧の青春を過ごしたそう。とはいえそれは相当に狭き門、惜しくも夢破れた時に次の進路として思い浮かんだのがパティシエへの道。物心ついた時からスイーツが身近な存在だった宮脇さんにとってごく自然な流れでした。「高校を卒業後、家業を継ぐつもりで実家にいましたが、3年ほど過ぎたころに自分が全然進歩していないと気付いて。このまま親元で甘えていてはいけない」と一念発起。各地の名店で腕を磨く修行生活へ身を投じます。

神戸の名店〈レーブドゥシェフ〉で
師と出会い、技を磨く日々。

  • ※現在の名谷本店です。

宮脇さんのパティシエ人生の中で大きなターニングポイントとなったのが、24歳目前に神戸の名店〈レーブドゥシェフ〉と出会ったこと。「初めて食べた時に、ここで働きたい!」と即決。「すごく人気のお店で忙しい日々でしたが、ここでの8年間、お菓子づくりの技術を徹底的に学び、無我夢中で走り抜け培った経験は、かけがえのないもの」と確信しているそう。また、オーナーシェフの佐野靖夫さんのことを師匠と仰ぎ、後々続くご縁が結ばれたのも大きな財産だとか。「阪神淡路大震災もここで経験しました。その後の復興期には大変な思いもしましたが、落ち着いてから慰労にグアムへ連れて行ってもらったのがいい思い出です」

〈キルフェボン銀座〉のオープンに
立ち上げグランシェフとして活躍。

30歳を過ぎたころ、行列が話題の人気店〈キルフェボン〉が銀座に社運をかけた新店を出すという話が舞い込み、その立ち上げに携わるグランシェフとして招かれることに。長年の経験で磨き上げた腕をかわれ、商品開発やスタッフの技術指導などを担いました。「そろそろ自分のお店を持ちたいと思っていたころでしたが、〈キルフェボン〉の各店を見に行ったら、どこもすごい人が並んでいて。どうしたらこんなにお客さんを惹きつけられるのか?これは見習わなくてはと思い引き受けることにしました。商品の魅せ方や、オーナーの考え方など、ここでも学ぶことがたくさんありました」〈レーブドゥシェフ〉の師匠のもとで美味しいスイーツを作る職人としての技術などソフト面を学び、〈キルフェボン銀座〉でお店の演出やプロデュース力などハード面を勉強。この両輪が〈パティスリー ル・フルティエ〉の礎になっているとのこと。

「僕は本当に人に恵まれている」
幾多のご縁がつながって...

2007年、念願かなって自身がオーナーシェフとなり〈パティスリー ル・フルティエ〉をオープン。場所が決まるまでに、2年の歳月を費やしました。その際、師匠の佐野さんが各地を一緒に回って探してくれて、良いお店に欠かせない土地選びのノウハウなども伝授してくれたそう。そして、「たまたまのご縁」で京都府精華町へ。オープン1年後には、TV番組「笑っていいとも!増刊号」で「和三盆ロール」が紹介され、大反響で放送直後にホームページがダウンするという経験も。それも、「たまたまお取り寄せグルメの達人がうちを気に入ってくれて」とのこと。今回の三坂さんと「美味テッド」とのご縁もしかりで、「自分がなにもできない分、本当に人に恵まれている」と謙遜される宮脇さんですが、良きタイミングで良きご縁に恵まれ、愛されるのは、そのお人柄の賜物なればこそと伝わります。

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