DELIGHT EYES
暮らしとともにSDGs
生活スタイルをアップデート
人にも環境にもいいカタチが生まれる背景には、美しい未来のビジョンが存在します。これからの時代のグッドデザインとは? SDGsにも繋がる“根のある暮らし”とは? 生活をアップデートするヒントを求めて。
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暮らしとともにSDGs Vol.01
DELIGHT EYES〜ストーリーのあるものづくり〜
石見銀山 群言堂
2015年に国連サミットで採択された持続可能な開発目標「SDGs」は、今では日本でも多くの人に認識されるようになりましたが、数十年前からそのような視点でものづくりをしているブランドが、世界遺産・石見銀山(いわみぎんざん)がある島根県大田市大森町にあります。今回は、大丸心斎橋店のショップと大森町をつないで、“根のある暮らし”のためのアイテムを紹介します。
大丸心斎橋店本館8階にある「石見銀山 群言堂(ぐんげんどう)」は、全国の百貨店やショッピンセンターにショップを展開するライフスタイルブランドですが、その本拠地となるのは島根県大田市大森町。2007年に世界遺産に登録された石見銀山に抱かれるようにある町です。
この自然と緑あふれる場所で、「石見銀山 群言堂」が産声をあげたのは、約30年前。松場大吉さんと登美さんのご夫婦が、大吉さんの故郷である石見銀山に帰郷し、たった二人で始めたのです。創業当初は、登美さんが子育ての合間につくる布小物などを大吉さんが行商しながら売り歩くというスタイルでした。
大丸心斎橋店の「石見銀山 群言堂」を訪れると、主力商品である服や雑貨が並ぶ中、まるで一昔前の日本の暮らしを再現したようなディスプレイが目を引きます。
さらには、壁に大きな茅葺きの家の写真が飾られています。
「あの写真に写っている立派な家は、何ですか?」と店長の眞谷有子さんに聞いてみたところ、「大森町にある、わたしたちの本社の一部、鄙舎(ひなや)です。会社のシンボル的な茅葺きの建物ですが、ふだんは社員食堂として使われているんですよ」と。
こんな立派な古民家が社員食堂? 羨ましくなるような環境に驚かされたので、大森町の「群言堂」のことを知るべく、鄙舎にいる松場登美さんにオンラインでお話をお聞きしました。
「今、私がいる場所は、260年近く前に建てられた茅葺きの家を、1997年に広島から移築したものです」と登美さん。
祖父母や父母が代々続けてきた日本の生活文化、ライフスタイルを次の世代に伝えていきたいという登美さん。大森町を豊かだったころの日本の田舎の原風景に近づけるために、多額な費用をかけてでも移築しました。
「昔のよかったものを残していきたい。でもただ保存して博物館にしちゃうのはイヤなんですね。わたしたちが営むお宿『暮らす宿 他郷阿部家(たきょうあべけ)』では、何十年前もそうしていたようにおくどさん(かまど)で薪をくべてごはんを炊くのですが、それは昔やっていたからやるのではなくて、ごはんがおいしいからやってるんです」。
こう話す登美さんの考えは、「復古創新(ふっこそうしん)」という言葉に表されます。古きよきものから学び、時代に合わせて生かす「石見銀山 群言堂」のものづくりのベースとなるもの。鄙舎も大変歴史がある文化財的建物かもしれませんが、社員食堂として生かすことで、今に生きる人に、日本のよき暮らしを学ぶ場になっているに違いありません。
日本の古きよきものを大切にするという点では、「石見銀山 群言堂」の主力商品には、全国各地に残る昔ながらの産地の技術を生かしたものが多くあります。
その中でも、長きにわたって看板商品として人気なのがマンガン絣を使ったアイテム。マンガン絣とはあまり聞かない技法ですが、どのようなものでしょうか?
「今から20数年前に新潟の機織り屋さんに行った時、すごく広大な資料室を拝見したところ、今では誰も見向きもしなくなってしまったマンガンという鉱物染料を使った昔ながらの生地を見つけたんです」と登美さん。
本物の絣ではないのですが、まるで絣のように見える繊細な染め絣の魅力に引かれた登美さんは、マンガン絣を大切に伝えていきたいと感じたそうです。
「たった一社のたった一人の職人さんしかつくれないんですよ。その職人さんがつくれなくなったら、マンガン絣はもうなくなってしまうかもしれませんが、私は、ものを残さないと技術も残らないし職人も残らないという考え。継続することを断ち切ってはいけないと思っています」。
登美さんの想いや願いが届いたのか、今では他社でもマンガン絣を使った商品が少しづつ出てきているそうです。
マンガン絣をはじめとする日本各地の産地が生み出す生地を使い、創業当初からオリジナルのものづくりをしていた「石見銀山 群言堂」。大量生産ではなく、一つ一つ手づくりされて同じものが二つとない商品として、ちくちくブローチがあります。これは、東京・二子玉川にある障がい者支援施設、玉川福祉作業所でつくられています。
「10年近く前、大森町内でわたしたちが営む古民家再生宿『他郷阿部家』に玉川福祉作業所の理事長さんがお泊まりになられたんです。そのときの出会いをきっかけに、作業所と関わるようになって、アートな感覚で何かご一緒につくりませんかとお声を掛けさせていただき、つくり始めたのがちくちくブローチなんです」と登美さん。
最初は刺し子ができる人はほとんどいなかった作業所で、今では多くの人がブローチづくりに精を出します。「石見銀山 群言堂」には、まとめて100個くらいが定期的に納品されますが、登美さんはその都度、全てをテーブルに並べて写真を撮るそうです。
「このブローチを見るたび、何十年もものづくりをしてきた私も、もう本当にかなわないなと思うんです。書家の榊莫山さんの著書『莫山美学』(世界文化社)に『美の類型のなかには、稚拙の美というのがある。その美は、素朴と純粋の極地といえよう。』という言葉があるのですが、作業所から納品されたブローチを見ると、夢中になって手を動かして、正直に素直につくっているのが感じられるんですね。人間は大量生産や分業で均一でいいものをつくるようになったけど、そういうものでは心の満足は補えないのかなという気が私はしていて。作業所の方々は本当に楽しみながら喜んでものをつくってらっしゃる。それがすごく伝わってきます」。
ちくちくブローチは、全国の百貨店やショッピングセンターに入る「石見銀山 群言堂」で販売されています。
「一度、作業所に入所しておられる方のご家族に新宿のお店でお会いしたんですけど、涙ながらに喜んでくださって。自分の子どもがつくったものが、ちゃんとしたデパートのちゃんとした売場でそれなりの価格で売られている。売場ではハンディキャップを抱えた人がつくっているということは表に出さずに、他の商品と同じように扱っています。隠すことでも売りにするものでもなく、商品を通じて自然に会話が生まれれば嬉しいですね」と登美さん。
「石見銀山 群言堂」で使われている紙袋には、海の植物・プランクトンがつくり出す“水の華”のイメージを芋版でデザインした包装紙が貼られています。
「この包装紙を隣町の障がい者支援施設、邑智園の方々が一枚一枚手で破って、手で貼ってるんです。だからこの紙袋も二つと同じものはないんです」と登美さん。
玉川福祉作業所や邑智園の人たちが、やりがいを持ってより楽しく作業ができる。これはSDGsの「GOAL8:働きがいも経済成長も」に大きく貢献しているのではないでしょうか。
「石見銀山 群言堂」の商品の多くは、登美さんをはじめスタッフが生活している大森町の暮らしからインスパイアされて生まれています。特にそれが顕著に表れているのが「里山パレット」のシリーズです。
「『里山パレット』もすごく気に入っていて、この地域にある植物から染料を抽出して染めているんです。スタッフに植物博士みたいな面白い子がいて、『僕は令和の百姓になりたい』と言って、今は農耕地を何カ所か借りて農業をメインにやっています。里山に自生する植物からだけでなく、彼が育てているブルーベリーからも染料が生まれています」と登美さん。
「石見銀山 群言堂」大丸心斎橋店には、この秋の新作として、“洋種山牛蒡”、“ブルーベリー”、“赤紫蘇”の3色の「里山パレット」のアイテムが置かれていました。里山で拾い集めた植物の色素に、着色を安定させるために少量の化学染料を加えるボタニカルダイという手法で染められ、自然な色合いを醸し出しています。
色の名前もそうですが、「石見銀山 群言堂」の商品のほとんどは、“白詰草”や“薮手毬”、“菩提樹”など、植物の名前が付けられています。
「自然界の草花の名前をつけているんですね。花屋さんに売っている花はきれいかもしれないですけど、自然界のものは作為がなくて素朴な美がある。人間だってナンバーじゃなくて一人一人に名前があるでしょ。私がデザインした服は自分が生み出した子どもみたいなものだから、製品番号ではなく名前をつけています」と登美さん。
令和の百姓を目指す若者のように、個性豊かな人たちが集まってくる「石見銀山 群言堂」。大吉さんと登美さんの二人だけではじめた事業ですが、今は多くのスタッフがここで働きます。
「大森町には60名ぐらいのスタッフが働いていますが、そのうちの3分の2ぐらいがIターン、Uターン組かな。わたしたちのものづくりや考え方に、何かを感じてきてくれたんだと思います。一人アメリカから来た男性がいるんですが、彼はバークレーの大学で『希望学』という学問を勉強していて、ある時NHKで群言堂が取り上げられているのを見て、『ここには希望があるかもしれない』と、夏休みに1ヶ月間研修に来てくれて。彼は今、うちで働いていて、隣町のビール会社と組んで、地元の自然酵母をつかったクラフトビールの開発をすごくがんばってくれています」と登美さん。
ユニークな人材はアメリカからだけではなく、中国からもやってきました。房薇(ファン・ウェイ)さんは、島根大学に留学した後、「石見銀山 群言堂」に入社します。
「彼女は農学博士だったので、当時はうちの会社ではすることがなかったんですけど優秀な人で、町内の梅の花から「梅花酵母」を発見して、その酵母菌を使って味噌をつくり、お酒をつくり、今では化粧品や、先ほどお話ししたビールまでつくれるようになったんですよ」と登美さん。
個性豊かな人材を生かしながら事業として成り立たせる。これは採算ベースに乗せるということを考えても、なかなかできることではありません。
「ある人から『登美さんの会社は、普通の会社の逆だ』と言われたんですね。普通は、例えば旅館をするから料理人、アパレルをやるからデザイナーと、事業に合わせて人を雇うんだけど、『石見銀山 群言堂』は、こういう人がいるからこういうことをやろうと考える。私は単なるアパレル会社をつくりたかったわけじゃなくて、人が暮らすのに心地いいものを着たい、いい空間で住みたい、こういう食事をしたい…自分の理想とする暮らしをデザインするために、人が集まってきてくれてるという感じですね」。
「石見銀山 群言堂」のロングセラー商品の一つに「ひのきのたわし」があります。
「私が尾鷲に講演に呼んでいただいた時に、聞きに来てくれていた女性が、『私たちのおばあちゃんは、ひのきのカンナ屑を編んで、それで食器を洗っていた。今はそれを道の駅などで売ってるんです』とおっしゃっていた。ものがすごくよかったので、それをこちらでパッケージデザインをして売り出しました」と登美さん。
尾鷲市は、FSC(Forest Stewardship Council 森林管理協議会)を取得し、環境、社会、経済面から適切な森林管理を行っています。「ひのきのたわし」は、SDGsの「GOAL15:陸の豊かさも守ろう」に貢献しているアイテムと言えるでしょう。
「今はコロナ禍でままならないけど、本来は地方に出かけて、メジャーなものではなく、その地域でずっと使われてきたものを発掘して商品にしていきたい」と語る登美さん。それが再び可能になる時が早く訪れるのを願いたいものです。
「石見銀山 群言堂」は、東京大学教授だった西村幸夫さんに、「この会社は雑貨業でもアパレルでもなく、生き方産業だ」と言われたそうです。
「私は今、独学ながらも服をつくったり、暮らしにまつわるいろんなものをデザインしたり、宿もやっています。素敵な宿は世の中にいっぱいあるかもしれないけれど、廃墟だった家を立派に再生した誇りがあって、廃材をフルに使って再生できたことが、私の生き方だと思ってるんですね。だから『石見銀山 群言堂』のファンの方は、そういうわたしたち夫婦の生き方そのものに共感してくださる方が多いのだと思います」と登美さん。
さらに登美さんは、こう続けます。
「自然環境や人権を、犠牲にしたり、無視したようなもののつくり方だけはやりたくない。片田舎でもまっとうなビジネスをしていけば、そういうことを理解してくださるお客様はきっといてくださるんじゃないかな」。
登美さんは謙遜しますが、周りの人たちから「サステナブルやエシカルがこれだけ注目される今、やっと群言堂に時代が追いついてきたね」と言われるそうです。
銀山の廃坑で過疎化や高齢化をたどっていた大森町で事業を育み、SDGsの「GOAL11:住み続けられるまちづくりを」を実践、障がい者支援施設などで「GOAL8:働きがいも経済成長も」を生み出し、その商品は「GOAL12:つくる責任つかう責任」を考える。大吉・登美夫妻や「石見銀山 群言堂」のものづくりは、SDGsの最先端を走っているに違いありません。
※この記事の内容は2021年9月24日に公開された時点のものです。
写真(店舗)/西島渚 取材・文/蔵均 WEBデザイン/唯木友裕(Thaichi) 制作・編集/河邊里奈(EDIT LIFE)、松尾仁(EDIT LIFE) 写真協力/石見銀山 群言堂
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