
菅野 裕隆 株式会社 菅野養蜂場
訓子府の森の香りを採取する若手養蜂家
北海道は生産量日本一を誇る「ハチミツ王国」。蜜源となる花の生育環境によって味わいが異なるハチミツは、まさに北海道のテロワールそのものです。訓子府町の菅野養蜂場では、抗生剤を使わずに育てた健康なミツバチと力を合わせ、こだわりの天然ハチミツを販売。養蜂家の4代目、菅野 裕隆さんをご紹介します。

養蜂が好きで、安心安全な美味しい蜂蜜を多くのお客様に食べてもらいたいというまっすぐな気持ちが伝わってくるインタビューでした!地下1階POP UP SHOPでは菅野さんも店頭で接客されるので、要チェックです!
菅野 裕隆 かんの ひろたか2>
株式会社 菅野養蜂場
1989年北海道訓子府町生まれ。北見工業大学大学院を卒業後、株式会社マテックに勤務。2016年に訓子府に戻り養蜂家の道へ。株式会社菅野養蜂場 生産・営業担当として、商品のリブランディングに取り組んだ。

知っているようで知らない?養蜂業の1年とミツバチの生態
「ミツバチ1匹が一生に集めるハチミツの量は、わずか小さじ1杯ほどなんです」と教えてくれたのは、菅野養蜂場で生産・営業を担当する菅野 裕隆さん。1934年に農業の副業として養蜂を始めた曾祖父の代から家族でミツバチと共に歩んできた、4代目35歳の若き養蜂家です。
裕隆さんの春は、ミツバチの越冬先である静岡県の桜の採蜜からスタート。花の開花前線を追いかけるように北上し、訓子府町に戻ってからは6月中旬のタンポポ、6月下旬のアカシア、7月下旬の菩提樹(シナノキ)の単花蜜、秋に咲く花々の百花蜜の採蜜を行います。秋に採蜜が終わると、ミツバチの食料のために巣箱にハチミツを残しつつ、翌年に活動してもらうミツバチを育てます。11月~1月は巣箱ごとトラックで静岡まで運んで越冬。桜の季節が近づくと、蜜を出す花がない代わりに砂糖水を与えて春の訪れを錯覚させ、活動を活発化させながら蜂群を増やします。

育成の時期では「1つの巣箱には3枚の巣枠が入っており、1枚の上に約2,000匹、つまり1箱の中で約6,000匹のミツバチが生活しています。巣箱のミツバチは、卵を産む女王バチ、子孫を増やすためのわずかな雄バチ、そして巣の手入れや幼虫の世話、採蜜を行うメスの働きバチで構成されています。外に出るのは働きバチだけ。生まれてから半月ほどは巣の中で内勤バチとして働き、後半の10日から15日間だけ外勤バチとして花の蜜の採取を行います。働きバチの寿命は、わずか1カ月程度なんです」と菅野さんが教えてくれました。
そもそもハチミツは、開花時期だけ花蜜を採るミツバチにとって幼虫を育てるためにも大切な保存食。養蜂の話を伺うと、私たちは貴重な食料の分け前をいただいていることを実感します。役割分担によって成り立つミツバチの社会性はもちろん、生物を殺生することなく花の蜜や花粉だけで生きる虫であることにも驚くばかりです。

腕の見せどころは「ハチを合わせる」こと。奥深い養蜂業の世界
天気と開花に群れを最大化させたミツバチを合わせる、通称「ハチを合わせる」のが、もっとも大切な勘どころです。温暖化によって北海道の開花時期は変化しており、春から夏は毎日天気予報とにらめっこ。
「訓子府の魅力は天然の森の多さです。蜜を出さない林業向きの針葉樹ではなく、蜜源となる広葉樹が多いから。土壌が豊かで農業が基幹産業だったうえ、道有林が多かったことも養蜂にとって幸いしました」と、菅野さんは養蜂家視点で訓子府の魅力を教えてくれました。
開花を追いかけながら、地主さんから許可を得た7カ所~12カ所の蜂場に300~350群のミツバチを設置します。周辺を飛び回って花の在りかを見つけた働きバチは、巣に帰って“8の字ダンス”で方角と距離を仲間に知らせるのだとか!
こうしてミツバチは広葉樹の花蜜を集めながら、同時に森を次世代へ繋ぐための受粉も行っています。この受粉もまた、養蜂業の大事な柱のひとつ。
「訓子府特産のメロンの花粉交配=ポリネーションも、僕らのミツバチが行っています。稲作転換促進事業やタマネギ・ビートの育苗用ビニールハウスの有効活用を機に訓子府メロンの生産が始まってから50年以上、うちのミツバチたちがポリネーションで活躍してくれています」。
森を育てるだけではなく、地域の特産を支えるミツバチの受粉。ミツバチがいなくなれば、自然や作物の実りに影響が出るのは必至です。

花々が呼び起こしてくれた、心の中に眠る「ハチ屋魂」
今でこそハチ愛に溢れる菅野さんですが、北見工業大学で光触媒の研究をした後は、金属材料の分析技術を生かして札幌近郊の資源リサイクル会社に勤めていたそうです。
「僕はハチアレルギーで、ミツバチに刺されると呼吸困難で倒れちゃう。ハチが苦手だったので、ハチ屋はやらないと思っていました。でも、通勤中に車を走らせていると街路樹の花が目に留まり、『そろそろ採蜜の時期だな』って季節の移ろいを感じてしまう。札幌や東札幌のあたりは菩提樹が多いし、石狩や札樽道ってアカシアの木がたくさんあるんです。『思った以上に、自分は養蜂が好きだったんだ』と再認識して故郷に戻りました」。
隣で話を聞いていた父親の富二さんは「ハチ屋の息子だね」と目を細めます。
初代が自家養蜂を始め、2代目で移動養蜂を取り入れ、3代目の富二さんが取り組んだのは、ミツバチの病気を防ぐ抗生剤使用と巣箱の殺菌剤を止めることでした。きっかけは、「あなたは生産者だけど、消費者なんだよ」という食品専門の先生の言葉だったそう。コストが安い輸入ハチミツが増えた時代とも重なり、消費者へ直販するために、一層まじめに取り組むことを決意。薬の使用を止めてからは病気との闘いが続きました。幼虫がカビで溶けてしまう病気をしっかりと目視で取り除くことを繰り返すうちに、病気の発見が早まり、弱いハチが自然淘汰されたのか、気づけば病気が出なくなったそうです。巣箱も過剰な殺菌はせず、バーナーで焼く熱消毒を施しています。

養蜂家4代目として取り組んできたこと。未来に向けて目指すこと
4代目として家業を手伝うようになった菅野さんが取り組んだのは、世に知られていない養蜂業の仕事を発信し、商品が質の良い商品を探している消費者の手元に届くようリブランディングすることでした。
「ラベルを新しくすることに両親を説得するのに1年かかりました。うちの商品は、加熱濃縮などの加工は行わずに不純物をろ過したそのままの天然ハチミツ。他の養蜂家に勝とうとは思っていませんが、負けない商品を作っている自負はあります。質の良い商品を探しているお客さまの手元へお届けできるように、大丸札幌店さんに置いてもらえたらと思っていたので、イベントのお声がけには驚きました」。ありがたいお言葉に、イベントスタッフたちの気持ちも引き締まります。
「オホーツクにはポテンシャルの高い商品がたくさんありますが、表に出ていないものがいっぱい。ハチミツを通して魅力を知ってもらえたら」と、今後の意気込みを教えてくれました。
※本記事の情報は、2024年10月のものです。

※本記事の情報は、2024年10月のものです。