
林家 きよ彦 落語家
福祉と落語の世界にある「やさしさ」を
札幌市藤野出身の林家きよ彦さん。落語協会理事(2020年就任)林家彦いち一門として、全国津々浦々で落語を披露するきよ彦さんの原点は札幌にありました。藤女子大学の1年時と4年時に、“学生落語のインターハイ”として名高い『策伝大賞』で決勝に進出。全国の落語仲間と出会い、卒業後にはまわりの人たちがプロの道を選ぶ中「札幌に居たい」と障がいを持つ方々の支援施設に就職。 障がいを持つ方々の表現の多様さに惹かれるとともに、現代の出来事から噺をつくる「新作落語」の名手・林家彦いち師匠と出会います。「なんて自由で、奥深いんだ!」と創作に満ちた自由の風を受け、人生の帆はいよいよ大きく膨らみ、落語の世界へ。“落語の魅力とは?”と訊ねると「落語はやさしい」と即答するきよ彦さんに、札幌の思い出から落語との出会い、落語の魅力、未来のことまでお聞きしました。

取材させていただくなかで、巧みな話術や親しみやすいお人柄をひしひしと感じ、「これが落語家さんたる所以か!」と思いました。日々の出来事をお仕事に楽しく昇華する姿勢がとても印象的です。
林家 きよ彦 はやしや きよひこ2>
落語家
大学を卒業後、地元札幌にて社会福祉士として、知的障がい者施設で勤務。主にアート活動に携わり、作品作りのサポート、展覧会の開催、グッズ作り等を行う。その仕事を通じて「自由ってすごい!」と衝撃を受ける。自身も何か作りたい!と思っていたところ、「創作落語の鬼」とも呼ばれる師・林家彦いちに出会い、入門を願い出る。退職をして上京。約5年の前座修行を経て二ツ目に昇進。現在は自作の新作落語を中心に、都内の寄席やホール落語、地域寄席、学校でのワークショップ等、幅広く活動中。笑点特大号やラジオ深夜便に出演したり、新聞や書籍等のメディアに登場することも。2022年春にはプリモ芸術コンクール落語部門でグランプリを受賞している。様々なシーンで着実に活動の幅を広げている。

札幌の思い出、落語との出会い
「小さい頃、札幌駅周辺に出かけるのは、ちょっとした小旅行でした」と笑顔で話す札幌市藤野出身の林家きよ彦さん。2003年、大丸札幌店ができた時は中学生で、大丸札幌店はドキドキする場所という印象だったそう。藤女子大学に進学してからは「落語研究会」に入会。社会福祉士を目指しながら、介護施設や町内会などを回り、落語を楽しむ日々が始まりました。そんな中、大学1年と4年の時に、全日本学生落語選手権『策伝大賞』の決勝に進出。「全国高校野球大会に例えるなら、2-3年の一番脂がのっている時期に進出できるもの。幸運にも私が!? と驚くほかなかったです(笑)」と当時を振り返ります。
そのまま落語の世界に? と思いきや「甲子園で活躍したピッチャーがプロの世界に行く、みたいなもので、大学卒業を目前に、まわりのみんなはプロの落語家になると言い始めて。私は、え!? プロ...むりムリと、あまりにもおそれ多くて。札幌にいたい気持ちもありましたし、社会福祉士になりました」。卒業後、札幌市内にある障がい者支援施設に就職することに。

福祉の世界の 「多様な表現」、伝統も自由も重んじる「新作落語」
卒業してからは、アマチュアとして落語も続けながら、社会福祉士として、施設の立ち上げや入所者の支援業務などに従事。施設長が絵画に精通した方だったことから、入所者が描いた絵を額装したり公募出品したり、学芸員の資格を取得したりと、アートの知見を広げる機会に恵まれました。約6年間の日々を振り返り、話します。
「絵を描く人たちと毎日一緒にいて、みんなの作品に驚くことばかり。キャラクターの絵を描いていた人が旅行先の写真を模写するようになって、独創的なタッチで2m×15mにもなる大きな風景画を描くようになったり。ある人は製本された本に日記のように絵を書き連ねていくのではなくコラージュで立体造形をつくったり。『私って、なんて既成概念に囚われていたんだろう!』と感性を刺激される毎日でした(笑)」。
福祉の世界の「多様な表現」に感銘を受けたきよ彦さん。“私自身も何か自由な表現ができないだろうか”と思うようになりました。そんな矢先、林家彦いち師匠と出会います。
「彦いちは、キャンプ場で落語を演じたり登山や釣りにも長けていたり、唯一無二の落語家で、その自由さったら素晴らしくて。ある日『遥かなるたぬきうどん』という演目を見たら、『なんじゃこれは! 私が今まで見てきた落語と違う』と全身に電撃が走りました。たぬきうどんをエベレストの山頂へ届けに行くという新作落語で、扇子2本で、ガシ、ガシ、と山肌を登る仕草から始まり、師匠の背中がとてつもなく大きく見えて。ちょうどエベレスト登山から帰ってきた頃で、本当に背中が大きかったんですけど(笑)」。
福祉の世界の「多様な表現」、彦いち師匠の「伝統も自由も重んじる新作落語」。一気に追い風に背中を押されたきよ彦さんは「新作落語の道を歩んでみたい」と、林家彦いち門下への弟子入りを願い出ました。


ダメでも生きていけるじゃん、と認め合う。落語のやさしさ
「福祉も落語も、どちらにも魅了されて」と朗らかに、かつてを振り返るきよ彦さん。単刀直入に、“きよ彦さんにとっての落語の魅力は何ですか?”と尋ねると、「落語はやさしい」と、芯のあるまっすぐな言葉が返ってきました。
「例えば、落語には、与太郎というおっちょこちょいがいますが、『与太郎=ダメな人』とレッテルを貼って見捨てるようなことは決してない。町人たちが『与太郎はダメだなぁ』と言いながらも、かわいがって、ダメでも生きていけるじゃんと、愛でる人情があります。今でこそ『多様性』と言われていますが、落語は元来から多様性を受け入れ合う心があって。一人ひとりに物語があって、みんなが主人公。できること・できないことが、人それぞれにあって当然、と思いやるやさしさがあります。福祉の世界にも似ているところがあるのかな、落語のやさしいところが、私はとてもいいなあと思っています」。
人それぞれの違いを享受して支え合う。それは、いい百貨店とは?を考えるヒントにもなるのかもしれません。すでに出来上がったやり方ではなくて、地域に眠っている可能性、人や伝統などの魅力を探究して、新しい視点から何度も見つめ直して、さらに新しい視点を持つこと。
きよ彦さんは「もちろん伝統を重んじることは大前提にありながら、新しいことへの挑戦はとても大切。彦いちのように、アウトドアと落語のように、ありそうでなかった創作が生まれることもありますから」ときよ彦さんは笑顔で話しました。

これからも福祉と落語の世界から学んだことを、新作落語に込めて
“これからさらにやってみたいことは何ですか?”と尋ねると、穏やかに話します。
「あと数年したら、林家彦いちに入門してからおよそ15年が経ち、真打昇進という新たなステージ。真打になれば、弟子をとれるようになったり、寄席のトリを演らせていただけるようになったり、やれることが増えていると思います。私が新作落語をたくさんつくって、下の世代が『私たちも新作落語をやりたい!』となってくれたら嬉しいですね」。続けて落語家としての未来を語ります。
「そうそう、古典落語も、元々は当時流行っていたことを噺にする新作落語だったと、私は思うんです。だから、時代ごとのブームや潮流の中で新しい噺をつくるムーブメントは未来に残していきたいと思っています。私が新作落語をつくり続けることで、イズムと言いますか、落語の世界から教わってきた伝承を広めていけたら。
私、師匠から『こういう話を書け』と言われたことは一度もなくて。社会福祉士の仕事でも『ここに赤を塗るんだよ、青を塗るんだよ』と教えたことがないです。『自分の中にあるカタルシスを噺に昇華させるんだ』『自分が楽しいと思ったことを噺にするんだ』という心意気を教わってきているので、次の世代に、北海道のみなさんに、もっと新しい笑いを届けていけたら嬉しいです。土着の昔話や文化を題材にした新作落語とかも、いつかつくれたらいいなあ!」。
画一的な表現、多様な表現、伝統、自由。あらゆる方角へ舵を切り、全部大切にしてみる。やさしさの風を帆いっぱいに集めて、毎日の出来事を冒険してみる。そんなワクワクに満ちたまなざしで噺をつくるきよ彦さんの落語に、どっぷり浸かりたいと、すっかり引き込まれているのでした。

※本記事の情報は、2024年9月のものです。